血縁上の父子関係がないことを知りながら認知をした者が、まさに父子関係がないことを理由として、認知の無効を主張することができるか、というのが本件の問題点です。

 そもそも、血縁関係にはない認知(言うなれば、真実に反する認知)は、無効であると考えられています。それゆえ、血縁関係がなければ、認知の効力は生じなかったと言えるのですが、その点を知って、敢えて自ら認知をした者自身が、無効の主張を行うことができるのでしょうか。

 かつては、認知者による認知の無効の主張を認めない、という見解が優勢でした。この見解は、認知者による、認知の意思を重視するものであると考えられました。しかし、果たしてこの見解は、認知者の意思を重視しているのでしょうか。確かに、認知をするときの意思は重視するものと言えるでしょう。しかし、それならば、認知を無効であると主張する意思は軽視してよいものでしょうか。

 現在は、認知者にも認知の無効の主張を認める見解が優勢です。これは、血縁上の父子関係の有無という事実を重視する見解と言われています。ただ、客観的事実だけを重視するとするならば、利害関係者の意思・利害を蔑ろにしかねない結果も生じますから、どこかで調整が必要なように思われます。

 そもそも、血縁上の父子関係がないのに認知をするというのは、どのような場合であるかを考えてみましょう。
 1 子どもの母親に「あなたの子よ」と言われ、それを信じて認知する
 2 上記1のように積極的に言われなくとも、外形的事情に鑑み、自ら誤信して認知する
 3 子どもの母親と結婚するにあたり、母に請われて認知する
 4 子どもの境遇を憐れんで認知する

 上記のような状況が考えられますが、父子関係の存在を誤信した1や2の場合はもとより、その不存在を認識していた3や4の場合であったとしても、「自分で認知をしたのではないか(だから、今さら無効だなんて言わせないよ)」と割り切ってしまっては、認知者に酷な場合がありましょう。
 しかし、その一方で、どんな時でも無効主張を許してしまえば、子ども等の保護に欠けるようなときもありましょう。

 本件において、最高裁では、認知者は自らした認知の無効を主張することができるとの意見が多数を占めました。
 私も賛同するところですが、問題は、どのような場合に、無効の主張を制限するか、という点かと思われます。一定の場合には、そのような主張を濫用的なものとして許さないとするのが相当な場合もありましょうから。
 
 なお、本件最高裁判決は、補足意見・反対意見が付されており、示唆に富むものとなっています。